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みんなの広場

「みんなの広場 in 松阪 フォーラム2019」 記録

日時 2019317()  午後2時〜415
場所 松阪市産業振興センター・カリヨン別館1階会議室
主催 三重オーストラリア・ニュージーランド協会(三重豪NZ協会)
共催 三重県網膜色素変性症協会(JRPS三重)
後援 中日新聞社、夕刊三重、三重県視覚障害者協会

 進行
  あいさつ      河原 洋紀 JRPS三重会長
   祝辞       竹上 真人 松阪市長
           片岡 始  松阪市福祉事務所長

   基調講演     宮本 忠  三重豪NZ協会会長
   パネルディスカッション

    パネリスト  辻本 和仁 JRPS三重本部役員
           藤牧 隆子 音訳グループ「鈴の音」前代表

           福田 洋子 高田短期大学准教授
           内田 順朗 三重県視覚障害者協会会長
    司会     畠山 義啓 三重豪NZ協会副会長
  総合司会     米倉 芳周 三重豪NZ協会理事、松阪市会議員
                           *肩書きはフォーラム開催当時



あいさつと祝辞

(米倉)
 皆さま、ながらくお待たせしました。進行を担当する米倉です。本日はたいへんたくさんの方々にお集まりいただき、ありがとうございます。一昨日ニュージーランドでたいへんな惨事がありました。事件のあったクライストチャーチは、本協会会長の宮本が1 年間生活し、三重豪NZ 協会メンバーが「親善友好の旅」で何度か訪れた、縁の深いところです。最初に犠牲者の方々に黙祷を捧げたいと思います。
 (黙祷)
 ありがとうございました。
 それではフォーラムを開催させていただきます。今回の催しは三重豪NZ 協会とJRPS 三重の共催です。テーマは「海外旅行ユニバーサルツーリズム−視覚障害者とシニアを中心として−」、障害者や老人が楽しく海外旅行をするにはどうしたらよいか考える機会にしたいと思います。
 本協会は1999 年に発足し、さまざまな草の根交流活動を実施し、タスマニア大学
太鼓倶楽部に和太鼓を贈るというような事業もしてきました。今年で創立20 周年となりますので、それを記念するイベントでもあります。
 最初に共催者であるJRPS 三重の河原会長にごあいさついただきます。よろしくお願いします。

 共催者あいさつ
(河原)  皆さまこんにちは。ただいまご紹介いただきましたJRPS 三重の会長をしております河原です。私たちの会は平成8 年10 月30 日に発足しました。その時に10 年経ったら何か大きなことをしようと決めていました。三重県以外の協会は講演会など様々な行事をしていました。私たち三重県の会は、海外旅行をしたいという思いがずっとありまして、三重豪NZ 協会にコーディネートしていただいて、発足10 年目にニュージーランドへ行くことができました。それから5 年経って、今度はオーストラリアへ行きました。また5 年経って再びニュージーランドを訪問しました。こうして3 回も協会の御世話で楽しい旅ができたのです。
 三重豪NZ 協会のおかげでわれわれは安心、安全で安価な旅を楽しんでいます。第1回目の費用は1 人12 万円でした。ここには往復の飛行機代、4泊分のホテル代、一部食事代も含まれています。第2 回目は15 万円、3 回目は16 万円で、ここにも飛行機代、宿泊費等が含まれています。費用のことを言うのは、私ども視覚障害者は、一人で海外旅行に行くことが不可能で、必ず晴眼者に同行してもらうので、今申し上げた金額の倍負担することになるからです。高額になると旅行できません。
 私は温泉が好きなので、最初に行ったロトルア地熱地帯では本当に楽しく過ごすことができました。ここに持参したのはオール・ブラックスの記念品ですが、前回行った時に買ってきて、大切にしています。私たちは、このようにして三重豪NZ 協会の支援により旅行できています。旅はほんとうに楽しいことばかりで、事故もありませんでした。私たちの旅は、視覚障害者でも海外旅行ができるという実体験になっています。フォーラムを通じてわれわれも健眼者の皆さまと一緒に楽しく海外旅行ができるのだということをお知らせし、今後とも皆さまとご一緒によい旅をしたいと願っております。
(米倉) 河原会長ありがとうございました。本日は竹上松阪市長と市の福祉事業を統括されている福祉事務所長片岡様にお出でいただいております。お忙しいところご出席いただきありがとうございます。それでは早速松阪市長の竹上真人様からご祝辞をいただきたいと存じます。

 竹上松阪市長祝辞
(竹上)  皆さまこんにちは。ご紹介いただきました松阪市長の竹上です。本日は「みんなの広場in 松阪フォーラム2019 」開催の場を松阪に与えていただいたこと、またこうしてたくさんの方々にお集まりいただいたことに、三重豪NZ 協会の宮本会長、JRPS 三重河原会長はじめ関係の皆さま方に心よりお礼申し上げます。
 皆さまはニュージーランドに2 回オーストラリアに1 回お出かけと伺っております。私事ですが、新婚旅行でオーストラリアに行きました。かれこれ20 年以上も前のことで、もう銀婚式が済んでおります。妻はいまだに言うのですが、その時、私は高熱を出してしまいました。仕事で無理したのがたたって、現地で39 度の高熱に襲われ、注射を打ってもらってホテルで寝ているしかありませんでした。現地でのツアーに行けなかったら、妻に後で何を言われるか分からないので、彼女には一人でツアーに参加してもらいました。それでも、その時のことを今でも言われます。
 いらない話をしましたが、どのようなものであれ旅の思い出は20 数年経っても消えません。旅行はそんな頻繁に行けるものではありませんが、いけば本当に楽しく、心に残ります。
 障害のある方々に旅の機会が提供されるのはすばらしいことです。「ノーマライゼーション」といいますか、それが普通のこととして行われるのは、皆さまを始めとして様々な方々のご尽力があってのことと存じます。私たち行政もそうしたことに貢献できるよう努力してまいります。
 このフォーラムが有意義なものになり、明日に繋がっていくことを期待して、簡単ではございますが、ごあいさつとお祝いにかえさせていただきます。
 本日は誠におめでとうございます。

(米倉)  ありがとうございました。松阪市福祉事務所長の片岡始様にもご臨席頂いております。一言ごあいさつを頂戴したいと存じます。

 片岡松阪市福祉事務所長祝辞
(片岡)  皆さまが障害のある方々とともに海外旅行をされているのは本当に素晴らしいことだと思います。 松阪市福祉事務所も様々な団体の方々と協力し、こうした活動を支援していきたいと存じます。
 本日のフォーラムの開催、誠におめでとうございます。

(米倉)  市長さんと事務所長さんはご多忙で、ここで退席されます。お忙しい中ありがとうございました。拍手でお送りしたいと存じます。


基調講演
(米倉)  それでは基調講演に入ります。講師は、フォーラム開催のごあいさつを兼ねて、三重豪
NZ 協会の宮本忠会長です。

(宮本)  宮本です。私も視覚障害者の一人です。本日は足もとの少し悪いところをたくさんの方々にお集まいただき、たいへんありがとうございます。本日のテーマは「ユニバーサルツーリズム−シニアと視覚障害者を中心として−」です。このフォーラム実施にあたり、こうしたテーマで議論された先例を調べてみたのですが、まったく見あたりませんでした。日本では初めてのことではないかと思います。このような催しを思いついたきっかけは2005 年の「愛地球博」に遡ります。
 在日ニュージーランド大使館が各地の日本ニュージーランド友好協会会長を集めて万博会場でパーティーを開催した際、ある旅行エージェントの幹部が私の所へやってきました。「三重の協会では視覚障害者を連れて海外旅行をしている、その評判がすごくいい。なぜそんなことができるのか。われわれはマーケティングを展開して、老人など様々な人々のツアーを企画してきた。しかし、視覚障害者対象の企画は考えられなかった。目の見えない人が海外へ行って何が楽しいのか。旅行社はすべての人々に旅を楽しんでほしい。でも、どうしたら視覚障害者が旅行に満足できるのかが分からない。秘訣があれば教えてほしい」というのです。
 この質問は意外でした。私は仕事上必要で海外へ頻繁に出かけています。目が悪いのでやめようと考えたことはありませんでした。フォーラム開催にあたってチラシを作成・配布しましたが、それを見た数人から電話がかかってきました。旅行社の幹部と同じお尋ねがありました。「私も視覚障害者だが、今度海外へ行く機会があったらぜひ連れて行ってもらいたい。でも、目が見えない人がどうして旅行を楽しむことができるのか教えてほしい」、というのです。
 JRPS 三重では2018 年のニュージーランド訪問が3 回目の海外旅行です。最初の2回は旅行後反省会をしました。「楽しかった、また行きたい」というのが皆さんの声でした。今回反省会はありませんでした。海外旅行が当たり前になって、そんな必要がなかったのです。目的地ではそれぞれが自分の都合にあわせ自由に動き回ることができます。お店では朝食の準備など必要なものを思いのまま購入できます。経験が自信につながり、もはや三重豪NZ 協会のサポートは不要です。
 目が見えないから何もできないと思い込むのは間違いです。日本の社会が、目の見えない人は何もできないと教育してしまったのです。眼科のお医者さんたちが、そのように思い込ませているのです。私は眼科学会の依頼を受け、患者の立場から報告したことがありますが、そこではこのことを強調しました。眼科学会からは感謝状をいただきました。このフォーラムについて新聞社などからたくさん取材を受け、話をしていてマスコミはさすがだなあと思いました。社会も少しずつ変化してきているのだと感じました。
 さて、もう少し整理してお話しします。もちろん、海外に行かなければならないわけではありません。行きたい人が変な理由で行けないのが問題です。それを押さえた上で、二つのことを言いたいと思います。まず、五感が大切だということです。聞く、触れる、味わう、においを感じるなどの五感です。海外へ行くと五感がよくなります。眼科の先生たちは、人間の情報の90 %が目から得られると言います。しかし、目が見えなくても様々なことができるのです。仕事でも、視覚によらない情報を使ってけっこうなことが可能です。
 海外へ行った場合、おいしいものをたくさん味わうことができるし、耳から多くの情報が入ってきます。ニュージーランドでは街を歩いていると気軽に声を掛けてくれる。妻の肩に手を掛けながら山道を登っていくと、向こうの人たちは立ち止まって待ってくれる。近くまで到達すると、「やったやった」と手をたたく。空港で妻に連れられながら大きな荷物を持って歩いていると、じっと見ていて、目的の場所に着くと「よかった、よかった」と声を掛ける。こちらとは雰囲気がずいぶん違います。
 ニュージーランドのレンタカーは古くて故障することもあります。ある時、通行量の少ない道路で車が動かなくなってしまいボンネットを開けていたら、通りがかりの車から人が降りてきて、助けてくれました。それも1 台や2 台だけではありません。応急修理をしてくれた上、10 q先にガソリンスタンドがあるからそこで処置をするようアドバイスがあり、スタンドへ行くと、「もうじき日本人がくるから、助けてやってくれ」と伝言してありました。
 一昨日クライストチャーチで銃の乱射事件がありました。ニュージーランドでは銃を所持することが許されている。自分で身を守ることが自立だと思っている。この点は野蛮だと思います。アメリカ合衆国も同様ですね。そういう問題点はありますが、ニュージーランドにはすぐれたこともたくさんあるのです。五感を働かせれば、その人なりに十分楽しむことができるのです。
 「ごかん」といえば「語感」も大切です。「言語感覚」ですね。ニュージーランドへ行って英語がまったく分からなかったらたいへんです。しかし、少しでも英語が分かったら楽しめます。私が初めて外国に行ったのはイギリスでした。文部省派遣の若手研究者としてでした。行政法とか環境法が専門で、英語の勉強は特別にしませんでした。
 留学先のオックスフォード大学には立派なバーがありました。昼間から教員がビールを飲んでいます。カウンターで注文しようとすると、「どこから来た」と聞かれました。オックスフォード到着まで1 ヶ月ほど英語の勉強を兼ねロンドンに滞在していたので、「ロンドンから」と答えると、通じませんでした。「日本から」と答えれば通じたかもしれません。期待した答えでなかったのに加え「ロンドン」の発音がおかしかったようです。言語感覚をしっかり磨かねばと大いに反省しました。
 もう一つは「共生」、「共に生きる」ということです。外国へ行くとコミュニケーションが大切です。第1 回のニュージーランド旅行ではロトルアの視覚障害
者の方々と交流会を持ちました。オーストラリアへ行った時はキャンベラで交流会をしました。遠いシドニーからも障害者の方が駆けつけてくれました。この時は河原さんが英語であいさつしました。昨年オークランドでも交流会をして、河原さんが英語であいさつしました。河原さんの英語は立派で、十分に通じています。大事なのはみんな仲良くしようというということです。そのためには会話が大切です。会話をすることで共に生きていくのです。
 わたしは、講義開始にあたり「地球規模で考え、足もとから行動しよう」と学生に呼びかけてきました。世界中の出来事が日本に関わるようになっています。今の日本で本当にきちんと生きようと思えば、国際的な視野が必要です。トランプ大統領が宇宙軍を創設すると発言しました。宇宙をアメリカが支配する、そうしないと中国やロシアに負けてしまうというのです。とんでもないことです。宇宙を特定の国が独占することは、人類が生きていけるか否か、私たちが日本で、この三重で生きていけるかに関わっているのです。
 しかし、私たちが生きているのはここです。生存の場はここです。ここで何かをしていかなければなりません。行動しなければ何も始まりません。行動を起こすのはここ、三重であり松阪です。先日三重の視覚障害者の大会で盲目の弁護士さんと話する機会がありました。彼は外国へ行くのが好きだというのです。松阪でフォーラムをすることを伝え、何かアドバイスはありませんかと尋ねたら、「行きたいと思うから行くだけで、特に何もありません」という答でした。「私と同じですね」と意気投合しました。
 以上で私の話は終わりです。これから話をしていただくパネラーは昨年2 月ニュージーランドへ一緒に行った方々です。海外経験も豊富で、三重県で大いに活躍しておいでです。今日は、皆さんと共に生きる、共に考えることが目的です。パネラーの話を聞くだけでなく、多くの方々が意見を表明していただくようお願いします。

(米倉)  パネルディスカッションに移ります。司会は畠山さんです。

パネルディスカッション

(畠山)  司会の畠山です。三重豪NZ 協会副会長をしています。まず4 名のパネリストの方にお話しいただきます。その内容は皆さまのお手元にレジュメとして配布されております。それを見ていただくだけで、心動かされますね。それぞれのパネリストの持ち時間は10 分です。なお、ご質問、ご意見をいただくタイミングですが、すべての報告が終わってからよりも、話の内容が鮮明に残っているうちに出していただく方がよいと思います。それぞれのパネリストのお話が終わる都度、会場の皆さまから2 〜 3 分間、ご質問、ご発言いただきたいと思います。時間があれば最後にトータルで意見交換ができたらいいなと存じます。
 パネリストの方には10 分経ちましたらベルで合図しますが、そんな気になさらないで下さい。ほんのちょっとだけプレッシャーを差し上げるだけです。パネリストの方は、最初にまず簡単に自己紹介いただき、それから本題に入っていただきたいと存じます。最初は辻本様にお願いします。

 私と海外旅行
(辻本)  辻本です。現在はJRPS三重の本部役員をしております。三重豪NZ 協会のメール会員でもあります。教員をしていた頃は立ってしゃべっていました。このまま座らないでお話しします。三重豪NZ 協会の御世話でニュージーランドへ行くまでの、僕自身の海外旅行についてお話しようと思います。
 24 年前、5 歳の時、というのは
冗談で、35 歳で海外へ出かけました。新婚旅行は沖縄だったので、これが初めての海外旅行でした。イタリアとスイスへ職場の仲間5人で行ったのです。一人は美術の先生で、ドイツで2 年ほど絵の勉強をしていた人です。もう一人は海外青年協力隊で何年かネパールに行っていた人です。彼らは海外旅行というよりは、海外生活の経験がありました。この方たちは他にも海外旅行に出かけていて、仕事終了後いろいろな話を聞かせてもらって、自分もこの2 人について海外旅行を体験したいと強く思うようになりました。他に同僚2 人が参加したのでした。
 往復の航空券を購入し、最初に泊るチューリッヒのホテルだけ予約し,『地球の歩き方』を携え出発しました。そのほかは宿泊先から列車など移動手段も現地で決めるというバックパーカーの旅でした。12 月23 日に出て1 月4 日に帰る13 日間の旅行、当時はユーロになる前でイタリアはリラでしたが、日本円にして全部で20 万円程度の費用でした。1 月1 日にはバチカンで前ローマ法王のミサにも出席しました。旅行目的は、経験豊富な2 人の旅行スタイルを学ぶことでした。また、その頃カメラが好きだったので、持参の一眼レフでいっぱい写真を撮るつもりでした。
 この時の旅行がすごくよかったので、次の夏にスペインへ行くことになりました。新たに3 人が加わり8 人でした。最初に着いたマドリードで、海外協力隊経験者など3 人はポルトガルへ行くことにし、私たち5 人が予定通りスペイン旅行をすることになりました。8 人は多過ぎて、ホテル確保もたいへんだからです。10 日後にマドリードで再会する約束で2 グループに分かれました。
 最初2 回こういう自由な旅行に連れて行ってもらったのです。これが僕の海外旅行の入口というか原点になりました。いろいろな旅行スタイルがありますが、それぞれが自分の目的を持って楽しめばよいのだと思います。それまでは旅行なんて、終わってみればそれまでじゃないかと思っていたところがありました。何も残らないのはもったいない、どうせお金を使うなら、何か残るものにしたいと考えていました。それが一変したのです。
 それからいろいろな旅行に出かけました。家族を連れてグアム、サイパンに行きました。三重県とパラオとは友好関係にあるので、パラオ友好関係樹立何周年かの記念企画があり、県が参加者を募ったので、両親、叔父、叔母と5 人で参加しました。100 人以上の参加者があり、飛行機2 機に分かれて行きました。1 機はチャーター機でした。現地では前大統領の晩餐会、現大統領の晩餐会など盛りだくさんの行事がありました。
 妻と2 回目にイタリア旅行をしましたが、これは安いツアーでした。1 回目はヴェネチアに列車で入ったのですが、今回はバスでした。そんなこともあり、また違ったイタリアを発見することになりました。初対面のツアー参加者とも1 週間ほどいると親しくなり、今でも連絡しあう仲になった方があります。
 そうこうしている間に、僕も白杖を持つようになりました。白杖を持って行った最初の海外は上海でした。折りたたみできない直杖を持って行ったのですが、すごく注目されました。ある店に入った時、警備員が寄ってきました。僕をカンフーとかの棒術使いのように思ったらしく、白杖を武器と思い違いし警戒したのかもしれません。これがほんとうの「用心棒」、「上海の用心棒」というエピソードでした。
 旅行にはカメラを持っていくのですが、作品を残すという目的以外に、記録として残し思い出になるということもあります。しかし、そのうちに写真を撮ること、見ることが困難になりました。最近では旅行記を書こうというふうに変わってきました。そういう状況で出かけたのが今回のニュージーランドでした。
 時間がなくなってきましたので、一言だけお話ししておきたいと思います。三重豪NZ 協会とJRPS 三重が企画していただいた旅行との出合いは、これまでの旅行とは違ったスタイルの旅行です。安心・安価・安全を基調としながら、視覚障害の有無を超えて、それぞれにとって有意義な旅を楽しむことができることを目指しているところが重要です。いろいろサポートしていただくことには感謝申し上げますが、付き添うというだけでなく、同じ仲間として一緒に旅行できるのがのがすばらしいと思うのです。

(畠山)  辻本様、ありがとうございました。やはり、ベルがプレッシャーになりましたね。申し訳ありません。
 辻本様へのご質問やご意見がございましたら、お願いします。

(フロアー)  加藤です。辻本さんにはいろいろなところでお話を聞かせていたおり、感銘を受けています。よく見えていた時と見にくくなってからで旅行に何か違いが出てきたでしょうか。旅行にあたって何か注意すべき点があれば教えていただきたいと思います。

(辻本)  注意すべきことは国内も国外も変わらないのではないでしょうか。道路を歩くとか、ホテルでの生活とか、食事とか同じだと思います。海外へ出ると言葉が大事です。今回ニュージーランドでは、ホテルの階段で人と出くわすことがありました。降りてこられるのを待って上り始めると、もう一人降りてくる方があったのです。奥様とご一緒だったようです。ぶつかりそうになり、「ソーリー」と謝ったけれど、もう少していねいに話しかけられたらなあと思いました。ほかには、トラブルに巻き込まれないような人、巻き込まれてもうまく処理してくれる人と一緒に行きたいなと思います。

(畠山)  ほかにご質問、ご意見はございませんか。辻本様が初めて海外へ行かれたのは1990 年代の半ばだと思われます。バブルは崩壊したけれど、三重県ではその余韻がまだ残っていました。この頃海外へ行く人がけっこう多く、定年後はオーストラリアで生活しようという人たちもおりました。1997 年くらいになると海外へ行く人がずっと少なくなり、若い人は海外なんて行きたくないと言う
ようになりました。そんな若い方たちにも発信していいきたいと思っています。さて、それではご質問のある方は、最後にお願いします。辻本様、どうもありがとうございました。
 それではお二人目、藤牧様にお願いいたします。

 音訳の立場から
(藤枝)  藤牧隆子です。座ったままお話しさせていただきます。私は今話題になっている児童相談所に勤めておりました。定年になるころには課題がいっぱいあり、同じ県職員でもこんな過酷な職場があるのだと、他の部署の方が驚くような状況でした。長時間勤務が常態になっておりました。所長でないと警察への通告ができないので、夜の11 時頃まで帰れませんでした。管理職は超勤手当も付きません。本当にたいへんな時代を過ごしました。退職して、福祉の仕事をしたいと探していたところ、広報で「音訳」というものがあることを知り、県の支援研修センターで研修を受け、やっと鈴鹿の音訳グループ「鈴の音」に入れてもらうことができました。その後ずっと続けています。
 今回は音訳グループとしてニュージーランドに同行しました。そのきっかけは国内旅行です。ボランティアを始めて、美術館の案内をしたり、鈴鹿市内を一緒に歩いたりというのが、視覚障害者の方々と直接接する機会でした。そういう中で三重豪NZ 協会の宮本さんとのご縁もできました。宮本さんの本も音訳しました。現在もう一冊の御著書の音訳が進行中です。
 さて、今回のニュージーランドでは、オークランドの視覚障害者支援施設を訪問しました。同行の皆さまが現地の方々と交流しておられる時間を利用して、音訳グループの高本さんと一緒に録音室等を見せていただきました。びっくりしたことに録音室が7 つもありました。それも一部屋が6 畳以上の広さです。すべて防音設備が整っており、それぞれの部屋にパソコン、オーディオデッキ、テープレコーダー、プレストーク、書架などの機材が備えられていました。天板に厚みのあるテーブルも置いてあり、たいへんうらやましいと思いました。センターの中に広いホールがあり、壁にはみなさんが活動している写真が貼ってありました。プールで泳ぎ、マラソンやジョギングなどして、ニュージーランドの人たちは幸せなんだなと感じました。
 そこから帰ってくると、三重県の貧しさを訴えざるを得ません。三重県にも視覚障害者支援センターに録音室が設けられていますが、3 人しか使えません。鈴鹿では「鈴の音」が昭和50 年に発足し、43 年経ちました。当初は10 人足らずでしたが、私が10年前に入った以降はだいたい40 人、現在は34 名登録されています。実働は20 名くらいです。音訳していた人が病気で入院してしまったり、お年寄りの介護にまわらざるを得なくなったり、なかなか活動を継続することができません。鈴鹿には録音室が2 ヶ所ありますが、一つは完全防音設備が整っています。あとの一つは周辺を救急車が走るとその音を拾ってしまいま
す。館内では他のサークルも活動しています。たとえばハーモニカのサークルが練習を始めると、もう録音はできません。ほとんどの会員は自宅で録音せざるを得ないのです。
 大きな課題は、お金がかかることです。マイク、レシーバー、オーディオキャプチャーなどいろいろな機械を揃えなければなりません。せっかく研修を受けて音訳を始めても、夫の理解が得られないこともあります。夫からパソコンを借りて20 時間位録音を続けるようなこともあります。そうすると、「金にもならないことにどうしてそんなに時間を使うんだ、そんなことするより稼ぎに行け」と言われた会員もいます。日本ではボランティアが理解されるのは、まだとても難しいと感じます。
 公費支援がとっても乏しいのも問題です。パソコンとかマイクロフォンは貸し出しでと考えているのですが、会費ではとてもまかなえません。いろんな方々に寄付金をお願いして、ようやくパソコンを購入しております。公費でまかなってもらえるのは、消耗品のCD くらいです。こういう状況は三重県のどこの自治体でも同じです。伊勢市はその中ではふんだんにお金を投入しているようですが。
 「鈴の音」では音訳を年間30 冊程度、ほかに「声の広報すずか」を発行しています。このほか機関紙「やまびこ」を年3 回作成しています。私たち一生懸命頑張っているのですが、一番の課題は会員不足です。会員の高齢化も問題です。今回のニュージーランド旅行で高田短大の福田先生とお知り合いになりました。若い人たちにも音訳をやってほしいと思っておりましたので、先生にお願いして短大で何回か出前音訳講習会を開催させていただきました。3 人の学生さんに受講していただき、ほんとうにうれしいと思っています。
 もう一つの課題は、利用が広がっていかないことです。鈴鹿市内では視覚障害のある方が200 名ほどいらっしゃいます。肝心の広報は25 部しか発送しておりません。幸い機関紙「やまびこ」は市外にも送付させていただき50 部ほどですが、声の広報の利用が少ないのは残念です。プライバシーという問題もあるのでしょう。
 最後に、ニュージーランド旅行でも音訳の活動でも、自分の知らなかった世界をいっぱい体験させていただきました。自分の活動範囲がものすごく狭かったんだと実感しました。さまざまな本を音訳してほしいという要望が来ます。これまで読んだことのなかった著者と出会い、人物を見直すというようなこともありました。実は明日から入院して大きな手術を受けることになっています。このことを話すと、どうしてそんなに落ち着いていられるのかと尋ねられます。それは、多くの皆さんから元気をいただいているからです。本当にありがとうございました。

(畠山)  藤牧様、どうもありがとうございました。忘れないうちにご質問とかご意見がございましたら、お願いいたします。

(フロアー)  佐藤です。本を読む機会を与えていただいていることに、たいへん感謝しております。私たち視覚障害者にとって読書は最大の楽しみです。以前は点字の本しかなくて、全盲の人でないとなかなか手が出ませんでした。最近は様々な媒体があり、40 歳ぐらいになってから障害が出てきた者にも、本に親しむことが簡単にできるようになりました。インターネットでも簡単に検索で
き、大いに助かっています。本当に読書環境がよくなりました。本日はたいへんなご苦労があることを聞いて、ますます感謝の気持ちが強くなりました。本当にありがとうございました。

(藤枝)  ありがとうございました。帰って皆に報告したいと思います。

(畠山)  実際に利用している方にご発言いただき、また力強く後押しをいただいた気持ちです。ニュージーランドの設備のすばらしさについてお話がありましたが、オーストラリアでは、日本で学校に視聴覚教育の設備が普及していく10 年も前から、立派な機器が導入されていました。それらは日本の製品でした。日本は今でもすぐれたものを作っています。日本はある分野については今でもすばらしい技術を持っているのに、国内で活用されていないのはとても残念です。時間があればそのあたりも議論できるとよいと思います。どうもありがとうございました。
 それでは次に福田先生にお願いします。先生は私の元同僚です。アフリカでの活動歴をお持ちです。今日はちょっとしかそれに触れられないとのことですが、よろしくお願いします。

 介護社会福祉の立場から
(福田)  福田洋子です。座ってお話しさせていただきます。高田短期大学で教員をしております。皆さまとおつきあいするきっかけは、三重豪NZ 協会の宮本会長に短大で講演していただいたことです。その時に、オーストラリアやニュージーランドにユニークなやり方で旅行しておられるのを知りました。昨年2 月にJRPS 三重の方々と旅行されると聞き、ぜひ同行したいと思いました。私は三重大学付属病院で看護師をしていたことがあり、同行援護の資格も持っておりますので、ぜひご一緒したいとお願いしたのです。私は、視覚障害者の方が鏡を見ないでもメイクできるというブラインドメイクを学んでおりまして、障害者の方のどういう所に配慮すればよいか多少は知識がありました。多少の不安がありましたが、何とかなると考え同行したのです。
 行ってみましたら皆さまが旅行に慣れておられて、お手伝いすることはほとんどありませんでした。このフォーラムが始まる前にオークランド旅行の様子がスライドショーで紹介されていました。一緒に旅行した方とあの時はあそこへ行ってこんなことをした、楽しかったなと話しておりました。旅行に行くまでは心配なこともありますが、行ってしまえば何とかなるし、何かが起こっても宮本会長が言われるように「非日常的なことが楽しい」と感じられます。こういうことも旅行参加の収穫でした。
 今回の旅行で藤牧さんとお知り合いになったのも、大きな出来事でした。学生に藤牧さんの活動を紹介したら、話を
聞きたいという学生が出てきたので「鈴の音」から講師の方に来ていただいて、講習会を開催することになりました。講師の方はとてもお話しが上手で、すべてに立ち会えなかったのですが、こんなふうに本を読んでおられるのかと、新鮮な知識を得ることができました。
 私はブラインドメイクを通じ視覚障害者の方々と関わってきたのですが、今回ニュージーランドに同行するにあたり、視覚障害者の方が海外に出かけるのはたいへんなことだと想像しておりました。しかし、行ってみると、皆さまが積極的に楽しんで自分の世界を広げておられるのを知りました。私もそれで自分の世界を広げることができたと思います。
 先ほどアフリカ体験の紹介がありましたが、それが今回のようなことにつながるとは思ってもいませんでした。アフリカは今もたいへんな状態です。私が行ったのは水もあまり出ないような所でしたが、現地の人に助けられて、住めば都で、後から思うと楽しかったなと感じています。非日常的な体験を経て、人は成長していくのだと思います。ご縁があり、ここでこうして皆さまにお話しさせていただくのも、皆さまのおかげだと思っています。ありがとうございました。

(畠山)  ありがとうございました。福田様は看護師の資格を持っておられ、さらにはブラインドメイクという技術を学んでおられます。今回のツアーにぴったりの方だと思って同行をお願いしましたところ、とても実りある旅行だったと言っていただけました。福田様にご質問やご意見がある方はどうぞ。

(フロアー)   JRPS 三重の小川です。福田様、そして藤牧様もニュージーランドに同行していただきありがとうございました。福田先生は、あれこれ援助しようと同行していただいたのに、接触の機会が少なく、たいへん申し訳ありませんでした。こうして、改めてお話を聞かせていていただきありがとうございました。ところで本日は高田短大の学生さんお二人が松
阪駅に待っておられ、会場まで案内していただきました。ボランティアですね。こういう方々によって私たち支えられています。
 藤牧様の音訳のご苦労も聞かせていただきました。そんなことも知らずに御世話になってきたのだと、改めて感謝申し上げる次第です。ニュージーランドから帰って鈴の音さんからCD をいただき、とても美しく録音されているのに感心しています。バックミュージックもきれいに入って、最高の出来だと思います。これからもたくさん聞かせていただけるよう、お願いします。
 福田先生には、これからも私たちをサポートしていただくよう、お願いいたします。

(福田)  端の方からそっとやるようなことしかできませんが、これからもよろしくお願いします。

(フロアー)  佐藤です。ブラインドメイクが注目されていますが、どのようなものか簡単にご紹介いただきたいと思います。

(福田)  ブラインドメイクは、大石さんという方が考案されて、私が入った頃には指導者が少なくて彼女が教えた人たちを各県に派遣して普及するというやり方でした。私はボランティアのような気持ちで参加していたのですが、その後大石先生が法人化して、会員が急に増え大規模になりました。ルールも厳しくなり、料金も決められボランティアではなくなりました。そんなこともあり、わたしはちょっと離れている状態です。
 三重県ではあまり普及しておりませんが、都会の方々は、遠くから大石先生の所へ習いに行ったりしておられます。若い人たちは自信を持って勤めに行ける、恋人ができたと喜んでいます。舞台に出る方々は、初めにプロの方から化粧をしてもらうのですが、出演中汗をかいて崩れてきたとき、自分で化粧直しができるというのがとてもよいと言います。それが自信につながるという人もいます。

(畠山)  メイクが社会に出て行く自信になったというお話に感銘を受けました。視覚に限らず、他の障害でもメイクが大きな役割を果たしているのではないかと思います。そうした方々への支援活動にもつながるといいと思います。福田様、どうもありがとうございました。内田様、たいへん長らくお待たせしました。どうぞよろしくお願いします。

 白杖、車いす、盲導犬と海外
(内田)  座ったままでお話しいたします。内田順朗(としお)と申します。視覚障害者で、現在はほぼ全盲という分類に入ります。旅行は好きですが、海外旅行の経験はそれほど多くありません。冒頭のあいさつで河原会長が言われましたように、視覚障害者の旅行、特に海外旅行は難しいといわれています。ここでは国内、国外を問わず私の経験からどうしたら視覚障害者が旅行を楽しめるかをご紹介させていただきます。
  20 代の後半から視力が弱くなり30 歳の手前で会社を辞めました。今鍼灸師をしているのですが、その資格を取るために東京の学校で勉強しました。昭和50 年代の初めだったのですが、活動を一緒にしていた仲間や同窓生と、卒業後旅行会を作ろうということになりました。昭和54 年頃です。全盲の人も弱視の人もいました。弱視もいろいろですが、全盲の人を引っ張っていくような力のある人もいました。しかし、飛行機に搭乗する際にはやや不安が残ります。5 〜 6 人のグループなのですが、全体の安全を確保するためには健常者が一人いるとよいということになりました。当時は同行援護というようなことはありませんで
したので、知り合いとか職場の仲間にお願いしたのでした。こうして旅行会を立ち上げ、メンバーに多少の入れ替えがありましたが、現在でも続いております。海外も含め2 年に1 回、もう30 数回出かけています。誘われて、この20 日から熊本、大分を回ることになっています。
 健常者の方に同行していただくにあたり、費用負担をどうするか問題になります。障害者数人に健常者一人という場合、われわれが全額出すと健常者に重い責任を感じさせることになります。彼、彼女も旅行を楽しんでいるのだから、100 %ただにするより応分の負担をしてもらうことにしました。人数にもよるのですが、おおよそ50〜 40 %負担してもらっています。残りは障害者の方で分担します。
 旅行は可能な限り自己責任でやっています。自分のことは自分でする、時間は守る、自分でできる安全確認はするとか、規約を作ってはいませんが、それぞれの自覚でやってきました。事故といえるかどうか分かりませんが、2 回目だったと思います。京都で全員集合して城崎温泉へ行くことになっておりました。私はそのころ仕事で高槻におりました。関東の人が多かったのですが、関西は大津の人とわたしの二人でした。電車で京都駅へ行き、白杖を持ってちゃんと歩いていたつもりだったのですが、ホームから転落して1 ヶ月以上通院することになってしまいました。その時から事故については皆が考えるようになり、あまりタイトなスケジュールは避けるようにしました。
 学生の頃から海外に関心があり、何回か出かけています。語学関係の大学ではありませんでしたが、英語研究会に入ったりしていました。同級生で商社に入った人もいます。宮本先生から「語感」というお話がありましたが、海外旅行では現地の人と話をすることが大切です。今回の旅行は世界網膜協会(RI)の世界大会がオークランドで開催されるのを機に実施されました。せっかくなので私は大会の行事の一つであるレセプションに参加しました。同行してもらったのは鍼灸師の仲間の谷中さんです。タクシーで会場に行ったのですが、運転手と話をして多少は通じたかなと感じました。
 帰りのタクシーで運転手が”Doctor"とか”Daughter"といいました。”No”と答えたのですが、後から考えれば「一緒にいるのは娘か」と聞いたのでした。いずれにしても答えは間違っていませんでした。ニュージーランドではじめて英語を使うという経験ができました。現地はイギリス系なので、聞き取りやすいと感じました。そんなことで、ニュージーランドへ行って初めて会話する経験が得られました。
 私はJRPS 三重の河原会長に誘われて彼と一緒に三重県視覚障害者協会の理事になりました。その後会長をしています。先ほどお話しがあった三重県障害者支援センターの運営にも関わっています。いろいろ問題があると思っておりますが、私たちだけの力では及ばないこともあります。ボランティアの方々のご苦労をどれだけ分かっているのかなと反省もしております。でも、少しでもよい方向に向けていくよう努力したいと思っております。

(畠山)  ご質問、ご意見はありませんか。英語のお話を聞かせていただきましたが、実は私40 年間英語の教師をしておりました。英語の勉強をしたけれど通じないというような話をよく聞きます。カタカナになっている英語は、リズムが違うので通じません。まず聞くことから楽しんではいかがでしょうか。日本語は音の高さの変化で伝えているらしい。英語は強い弱いの繰り返しでリズムができあがっています。音楽を聞くことによって英語のリズムに慣れることができるのではないでしょうか。
 最近私は英語の通じない国、たとえばロシアなどへ行きました。そういう所では日本語をしゃべってきました。先ほど辻本さんが階段の話をされましたが、「ごめん」とか「悪かったな」で、けっこう伝わるのではないでしょうか。
 みなさま持ち時間の10 分を超えるお話をしていただいて、ちょうどいい時間になりました。最後の、会場のみなさま方で、これだけは聞いておきたい、言っておきたい言うことがありましたらどうぞ。

(フロアー)  木村です。私はニュージーランドへ3 度、オーストラリアへ1 度連れて行っていただきました。JRPS 三重の旅行で最初ニュージーランドへ行った時、方角を声で教えてくれる磁石を持参しました。南半球なので建物の向きが違うことを確認し、日本との相違を実感し、感激しました。三重豪NZ 協会の旅行でニュージーランド南島へ行った時、空港に到着してすぐ東日本大震災が起きたことを知り、これからどう行動するか皆で協議するというようなことがありました。計画通り旅行を続けたのですが、南島はとってもすばらしいところでした。ヘリコプターで氷河に行ったのは忘れられない出来事になりました。今後もこのように皆で楽しく旅行を続けられたらよいなと思っています。ありがとうございました。

(宮本)  木村さんは三重豪NZ 協会の会員であり、積極的に行事に参加しておられます。木村さんは美声で、旅行中全員で合唱する時はリーダーです。白杖を持って氷河を歩いた時には、短歌を作って披露していただきました。視覚がない方がどのようにして短歌を作っておられるのか、教えて下さい。

(フロアー)  見えなくても、たとえば風など、感じることはたくさんあります。それを五七五七七のリズムに乗せていくのです。

(宮本)  風、音などを言葉に変えるのは、とてもすばらしいことです。自分のまわりで他の人たちがしゃべっていることも感じ取ることができます。これも音ですが、心も感じ取ることができます。木村さんは、五感のほか第六感も加えて、短歌の創作をしておられるのではないでしょうか。ほんとうにすばらしいですね。心も含めてコミュニケーションを考えれば、けっこうたくさんのことができると思われます。人は、できると考えたらできる方向へ行く、できないと考えるとできない方向へ行く、そんな気がします。

(畠山)  人と人との関わりでは、もちろん言葉が通じたら楽しいです。でも、ある学術論文は、人のコミュニケーションの中で言葉が果たす役割は以外に低いといっています。
 質問とかまだ出てきそうですが、そろそろまとめに入らなければならない時間です。パネリストの方々が、旅行の楽しさについてお話になりました。三重豪NZ 協会では視覚障害者の皆さまとの旅行を実施してきましたが、楽しんでいただけるのか私も疑問でした。でも、皆さんから旅行が楽しかった、氷河に降り立った時には感激したという感想を伺い、新たな体験をさせていただきました。三重豪NZ 協会が視覚障害者の方と一緒に旅行していることが、すばらしい体験だと改めて感じています。
 本日は音訳の問題について知ることができました。でも、若い人で活動に参加する人が出てきたのはすばらしいと思います。若い人たちに力を発揮してもらうのはとても大切です。若い人たちも、社会の役に立つことをしたいと考えているでしょう。ただ、何から始めていいか分からない。こういうことができると紹介する、ここで講習が受けられるというようなチャンスを届けると、若い人たちも幸せになれるのではないでしょうか。
 今日はフォーラムを通じて、視覚障害者の方々の旅行の楽しさを確認しました。また、ボランティア活動は問題を抱えているけれど前向きに捉えることができるのではないかと感じることができました。それでは、会長、締めの一言をお願いします。

(宮本)  本日は足下の悪いなかたくさんの方々にお出でいただき、ありがとうございました。三重豪NZ 協会が、皆さまに何らかのことをお伝えできていれば幸いです。今後ともよろしくお願い申し上げます。 

(米倉)  ありがとうございました。2 時間15 分があっという間でした。今後もこうした催しをしていきたいと思っておりますので、どうかよろしくお願いいたします。今日は本当にありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。これにて、「みんなの広場in 松阪フォーラム2019 」を終了いたします。
      
                                                   以上




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