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みんなの広場

第1号〜


航空事情から見えるもの

畠山義啓

 最近の日本での航空事情に関するニュースは、羽田空港への国際線の乗り入れのことでしょうか。従来から羽田の正式名称は東京国際空港だったようですが、成田が開港してからは外交上の理由で中華民国の航空機以外はすべて成田に移行しました。それが、昨年、羽田にも国際線ターミナルが開業し、新たな展開が始まろうとしています。そもそも国内線と国際線を遠く離れた空港別に分けてしまうこと、発着料が他の周辺諸国よりも割高なこと、採算を度外視して地方空港を作り過ぎたことなど、我が国の航空行政のことで愚痴を言いだしたらきりがありません。飛行区域もいまだに米軍の関係で日本国内でありながら大変な制約を受けています。その一方で、香港、韓国、シンガポールはアジアのハブ空港を目指して整備されてきているという状況があります。

 3年前、JALでセントレア‐シャルルドゴール(パリ)‐ヒースロー(ロンドン)‐成田‐セントレアというルートを飛んだことがあります。ここでの問題は、成田には国際線しか乗り入れていないので、成田‐セントレア間は、この区間を飛ぶJALもしくはアライアンス関係にある他の航空会社の国際便で席の空いている便にしか乗れないのです。当然、乗り継ぎは不便を極めたもので、成田のロビーで6時間ほど待ちました。

 一昨年は、JALがセントレアからのパリ便を廃止する直前の便でパリまで行きました。この時まで、JAL

は、名古屋からヨーロッパへのひとつの大きな窓口になっていました。

 そして昨年、ローマへ行くのにどの便が便利なのか調べ、フィンエアーで行くことにしました。フィンランドといえば北極圏に近いところにあります。実は、その立地条件をうまく活かしてフィンランドはアジアとヨーロッパを結ぶハブ空港を目指していたのです。みなさん地球儀を見てください。そうです、日本からヘルシンキまではヨーロッパの主要などの空港よりも近いのです。しかも、EUになってから入国手続きはすべてヘルシンキでできてしまうのです。ヘルシンキの空港に降り立って驚きました。日本、そしてアジアの主要都市から同じ時間帯に到着するよう運行されているのです。そして、その乗客を2時間以内にヨーロッパの主要都市に向けてフィンエアーで連れていくのです。これは、立地条件とEUであることを利用したまさにビッグビジネスだったのです。

 ここで、昔話をしましょう。皆さんは、アラスカへ行ったことがありますか?わたしは、何度か行ったことがあります。行ったというよりは、北周りでヨーロッパへ行く便はアラスカ経由だったのです。これは、冷戦の中でロシアの上空を飛ぶことができなかったのです。この時代、アラスカ経由でも大韓航空は2度ほどロシアの戦闘機に攻撃され不時着させられています。今のようにヨーロッパへ直行便で行けるようになったのは、冷戦終結後の話です。かつてヨーロッパへは南回りというのもありました。スイスからドバイ、バンコック経由で成田へ帰りましたが、確か26時間ほどかかったように記憶しています。

 もうひとつ、昔話です。オーストラリア(シドニー)へは名古屋(小牧)から毎日カンタス(本当の発音はクォンタスといった感じでしょうか。カンタスと発音してしまうと女性の生殖器を連想させ、日本人の若い女の子が発音すると周囲の人がニヤニヤしていたとか??)が飛んでいました。QF50便が午後8時出発、QF59便が午後6時到着でした。当時の時刻表がありましたので入れておきます。オーストラリアへ初めていったのは、1988年オーストラリア建国200年にあたる年でした。この年はブリスベンで万博が開催されていました。当時オーストラリアへ飛行機が着陸すると、機内でキャビンアテンダントが殺虫剤のスプレーを2缶両手で高くかざして、わたしたちの頭上で散布したのです。こんな時代があったのです。その後、ケアンズがオーストラリアのハブ空港になったり、カンタスが撤退してオーストラリア航空、さらにジェットスター、そしてジェットスターもセントレアから撤退してしまいました。オーストラリアへはどの便を選べばよいのかいつも悩んでしまう状況の一端は、日本のどの空港もアジアのハブになれなかったことを示しているのではないでしょうか。携帯電話、コンピュータシステム、インターネット、そして空港事情と日本が世界標準になれなかった原因はどこにあるのでしょう。






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