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三重豪NZ協会メールマガジン                          

  季刊 サザンクロス三重

         
Southern Cross MIE

                 
                
                 2020年1号(通号9号) 2020年1月14日発行


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もくじ
バルセロナ(カタルーニア州)とオンダリビア(バスク州)を旅して



 バルセロナ(カタルーニア州)とオンダリビア(バスク州)を旅して
                                  畠山 義啓


 スペインにとって1492 年は、イスラム教徒が支配していたグラナダをキリスト教徒が奪還し、再征服(レコンキスタ)を果たした年である。レコンキスタとは、英語ではReconquest である。そして、この年にコロンブスがこのグラナダから出
港し、アメリカ大陸を発見したのである。出港したのはグラナダであったが、帰国し、支援者であるイザベル女王とフェルナンド王に報告したのはバルセロナであった。まさに大航海時代の幕開けである。南米大陸からヨーロッパにもたらされた代表的なものといえば、トマト、ジャガイモ、カカオだろうか。今のヨーロッパの食材に欠かせないものばかりである。チョコレートといえばベルギーなどがもてはやされているが、私はチョコレートの原点はカカオが最初に持ち込まれたチュロスのホットチョコレートバルセロナにありと勝手に思い込んでいる。バルセロナにはチュロスをホットチョコレートにつけて食べさせる有名な店がある。
 私にとっての旅は、歴史に思いをはせながら、食を楽しむことにあるのかもしれない。何十年も昔、私が中学生のころ、ある英語の教師が「外人はタコは食べないんですよ」と話したことがある。それから何十年かして、イタリア、スペインを旅するようになって、その教師が言っていた外人とはアングロサクソン系アメリカ人あたりのことだったのかなと思うようになった。とはいえ


チュロスのホットチョコレート
その英語の教師にシアトルの女の子をペンパルとして紹介していただき、中二から高三まで文通していたことが、私が英語の道に進む大きなきっかけになったのかもしれない。地中海沿いのラテン諸国を旅する楽しみの一つは、イカ・タコを含む魚介類を堪能することにあると信じている。特に魚介類のおいしいスープに巡り合うととてもうれしく思う。

 私はここでは、自分が今までに旅をしたスペインのカタルーニア州バルセロナとバスク州オンダリビアについて話を進めていくことにする。決してスペインについて専門的に学んだことはなく、聞きかじりと経験での話なので間違っていることもあるかもしれないので、そのあたりはお許しいただきたい。



 
バルセロナ(Barcelona)
  では、バルセロナから話を始めることにしよう。カタルーニア州都であり、ここ数年の独立運動で注目されているところである。あるいはまた、ガウディ設計の未だ完成していないサグラダファミリア教会があることでもよく知られているところである。まず、バルセロナの良いところは、年間を通じて気候が快適なことである。ヨーロッパの天候をいつもチェックしているが、他の地域が暑かろうが、寒かろうが、大雨だろうがバルセロナだけは常に過ごしやすい天候に恵まれている。バルセロナの良くないところは、観光客が多すぎることである。7月から9月あたりのハイシーズンは人が多すぎてもう近づかないほうがよさそうである。バルセロナの住人もこれ以上観光客には来てほしくないと言っているほどである。余談ではあるが、また詳しくは確認していないがバルセロナ、ミラノ、メルボルンといった魅力的な都市が、ある一定額以上の不動産を取得したものに永住権を与える制度を実施したことから、一気に中国人が押し寄せてしまった現実もある。
 バルセロナの公用語はカタルーニア語、スペイン語であり、もちろん英語も半ば公用語のようなものである。リセウ劇場(Gran Teatro del Liceu)というオペラ劇場では、前列の椅子の背にオペラの字幕がカタルーニア語、スペイン語、英語の3か国語が切り替えで表示されるようになっている。
 バルセロナの魅力の一つは、地中海の豊富な魚介類を使った料理といえる。スペイン料理の代表的なものにパエリアがあるが、これは地域によって具材が違うようである。地中海沿いはもちろん魚介類であるが、内陸部はウサギや鶏の肉などが主体になっている。パエリアでもさらに魚介類のスープを味わいたいときには、スープパエリアを注文するとよい。正式にはArroz Caldoso アロスカルドスという料理である。魚介類が本当に新鮮なので、イカ墨を使った料理もお勧めである。なお、日本パエリア協会のウェブページによると「カルドソ(caldoso):米1 に対して水(出汁)は4 で調理」したものであると説明されている。
  料理のついでにワインの話もしておこう。発泡性ワインで有名なのはシャンパンであるが、それはフランスのシャンパーニュ地方でつくられ厳しい基準を満たしたワインにだけ与えられる名称である。その他の地域の発泡性ワインはスパークリングワインといわれている。そして、ここカタルーニアで製造されているスパークリングワインに与えられている名称がカヴァCAVA である。スペインでは酒に税金がかかってないらしく、全般的にとても安いが、手ごろに飲めるCAVA は750ml のボトルで2 ユーロから3 ユーロほどである。
 バルセロナで私の気に入っているホテルは、大聖堂(カテドラル)の向かいにあるホテルコロンColon である。よくハワイなどのビーチにあるホテルは、海に面した部屋をオーシャンビューというが、コロンでは大聖堂に面した部屋をカスド
ラルビューといっている。12 月の初めからクリスマス直前まで、大聖堂とコロンの間でクリスマスマーケットが開かれる。この時期には、カタルーニア独特のうんこ(大便)をする人形があったり、人々のクリスマスを準備する様子が見られるのも面白いものである。聞くところによると、腰をかがめて大便をする人形というのは、大便が大地を豊かにすることに由来するらしい。土着の豊穣に対する願いとキリスト教信仰が融合してクリスマスを祝う人形になったのではないかと推測する。12 月でも寒くはなく、観光客の数も比較的少ないのでこの時期のバルセロナはお勧めである。
 さて、バルセロナまで来ると、足を延ばしてグラナダを訪問しておく価値はある。バルセロナからグラナダへはヴェリング(Vueling)という格安航空LCC を日本からインターネットで予約しておいた。LCC はスーツケースを積むだけで追加料金が必要になるので、スーツケースはバルセロナのホテルに預けておいて1泊2日の行程で行くことにした。スペインには、パラドールという歴史的に価値の高い建築物を改装した国営ホテル


カタルーニアのうんこ人形
が90 以上ある。グラナダには、アルハンブラ宮殿の敷地内に15 世紀の旧修道院を利用したパラドールデグラナダホテル(Parador de Granada Hotel )があるので、早めに予約したいものである。なお、以下のサイトから予約することができる。https://www.parador.es/en 最近よくテレビのコマーシャルでホテル予約サイトを見かけるが、私の経験では高級なホテルであれば、できるだけ早い時期にホテルのウェブページから直接予約することで、より自分に合った部屋なりサービスの提供を選ぶことができるように感じている。できるだけ早い時期と書いたのは、いくつかのホテル予約サイトがあらかじめある一定数のホテルの部屋をおさえているので、予約の時期が遅れると直接予約ができなくなる恐れがあるからである。 


オンダリビア(Hondarribia)
 英語教育に長年携わってきたことと、コンピュータを使いこなしてきたことで、今は家にいながら、航空券、ホテル、レストラン、劇場などすべての予約することができるというのは幸せだと感じている。ヨーロッパについては、EU になってからEU 圏内の共通言語が英語になったこともあり、フランスでも英語が使えるようになったことは驚きでもある。しかし、次にお話しするのは英語がほとんど通じないバスク州オンダリビアのことである。
 
バスクという言葉は、地域と民族そして言語を指すのであるが、位置的にはスペイン北部のフランスとの国境がある地域である。そして、その住民がバスク民族であり、話す言葉がバスク語ということである。バスク語は、どの言語とも類似性が認められないと言われている。バルセロナもカタルーニア自治州として独立色の強い地域であるが、バスク州はスペイン内戦フランコ


バスク、オンダリビアの位置
独裁政治を通じて抑圧され独自性が認められなかったことから、テロ行為を伴うエタETA(バスク語でEuskadi Ta Askatasuna、発音はエウスカディ・タ・アスカタスナ、意味は「バスク祖国と自由」)という組織が結成された。このあたりのことを時系列で整理しておくと、スペイン内戦が1936 年から1939 年、フランコ政権が1939 年から1975 年、エタETA が存続していた期間は1959 年から2018 年となっている。エタETAが解散を宣言したのはつい最近のことであり、このような過激で急進的な組織が59 年間も存在していたことで今後バスクにどのような形で影響が出てくるのかは未知数かもしれない。現実に、女性の権利拡大を主張するウーマンリブ運動とエタETA が連携してきたという事実もある。現在でもこれらの組織に対しては、国家として非常に警戒しているようである。
 前置きが長くなったが、オンダリビアの話をすることにしよう。私はオンダリビアまで、名古屋から空路でヘルシンキ、マドリード経由でビルバオ、そこからバスでサンセバスチャン経由オンダリビアという方法でたどり着いている。空路でバルセロナ経由サンセバスチャン空港という行き方もあるかとは思っている。というのはサンセバスチャン空港というローカルな小さな空港はオンダリビアの河川敷にある。バスク州のビルバオやサンセバスチャンは国際都市であり、街中で英語も問題なく通じるが、驚いたことにサンセバスチャンからオンダリビア行きのバスに乗車したとたんに英語が通じないことがわかった。バスの運転手でさえ英語は理解していなかったのである。仕方がないのでバスの運転手に出発前、地図で降りたい場所とホテルを指で示しておいた。バスに30、40 分ほど揺られたところで、運転手に降りるように指示された。バスを降りてどの方角に歩いていけばよいのか思案していると、後ろから肩をたたかれて、指であちらの方角だと教えられた。誰かと思ってよく見ると先ほどのバスの運転手であった。バスを停留所に止めたままわざわざ降りてきて道を案内してくれたのであった。バスには他の乗客も乗っているにもかかわらず運転手が降りてきて道を教えるなんて、何十年か前の世界にタイムスリップしたような感覚に陥った。ある時は、大きなスーツケースを持ってバスに乗っていたら、サンセバスチャン空港の停留所に着いたとき多くの乗客が降りなくてもいいのかといった表情でこちらを見るのである。目的地は空港ではなかったので、こちらとしては多くの人に首を横に振らなけばならなかった。全然見ていないようでも他の人のことを気に掛ける人たちなのだと感じた。オンダリビアにいると言葉は通じなくとも、人々の優しさを感じることがよくあり、居心地の良いところである。
 オンダリビアは、目の前の川がフランスとの国境になっている。渡し舟で5 ユーロほどで対岸のフランスに渡ることができる。フランスが目の前にあるという立地である。ということはフランス軍が攻めてくることもあったわけで、フランス軍をオンダリビアから撤退させたことを祝う祭りが毎年9 月6 日から1 週間ほど町を挙げて盛大に行われる。ここで最高の宿泊先を紹介しておこう。グラナダのところでも話題にしたスペイン政府国営のパラドールがオンダリビアにもある。パラドール・デ・オンダリビア(Parador deHondarribia)は、980 年に建造された要塞がさらに16 世紀に城塞宮殿に改築されたものをホテルに利用しているのである。そして9月の祭りのメイン会場はこのパラドールの前の広場となっている。


パラドール・デ・オンダリビアの外観
2018 年には宿泊の半年ほど前にこのパラドールを9 月6日から11 日まで予約することができた。2017 年は3か月前にこの祭り期間中に予約しようとしたが、1泊しか取ることができなかった。9 月6 日から町は祭り一色となり、早朝から夕暮れまで、幼児から老人で構成されたそれぞれの地区の集団パラドール・デ・オンダリビアの外観が笛と太鼓で行進するのである。また、町のいたるところでイベントが開催され大変な賑わいである。パラドールからは宿泊する2か月ほど前にメールで夕食のレストランの予約をするようにとの連絡があった。こぢんまりとした町に大勢の人間が集まるのでレストランを予約しておいたほうが良いとのアドバイスである。トリップアドバイザーのサイトでレストランを検索するとともにコンシェルジェとも相談して事前にレストランの予約を済ませておいた。バルセロナもオンダリビアも大半のレストランは夜8 時から開店するといった具合である。オンダリビアといえども、レストランのメニューは英語でも表記されているのでほぼ問題はないが、魚類の英語を日ごろから市場をうろつきながら研究しておくと注文するときに便利である。たとえば、タラのような白身魚で英語ではヘイクHake、ス
ペイン語でメルルーサMerluza とか、注文の幅が広がって面白いだろう。そういえば、パラドールから近いレストランで、今日のおすすめとしてフランスのモンサンミッシェル沖で採れたムール貝があったので注文したところ、サイズは小ぶりだったが今までで一番おいしいムール貝だったと記憶している。ムール貝はパエリアのダシぐらいにしか思っていなかったので感動した。ワインの話をすると、バスクで作られている微発泡のワインはチャコリTxakoli と呼ばれ、バルなどではボトルをグラスの上1 メートルほどに高く掲げ注いでくれる。
 2018 年は9 月の祭りを最初から見学していたが、警備がとても厳しくなっていた。国家警察と州警察が厳重な警戒態勢で祭り会場を包囲していた。唯一英語が話せるパラドールのマネジャーに話を聞いたところ、パレードの一部の参加者がバスク語で叫んでいたことと関係するとしか説明してくれなかった。それで、現地の報道番組で英語字幕のあるものを見たり、インターネットで検索してみると、ウーマンリブ運動とエタETA との関連があり何らかの不測の事態を想定して警備が厳しかったようである。
 なお、オンダリビアで使える言語はバスク語、スペイン語そしてフランス語である。フランコ政権の時には禁止されていたバスク語は学校で教えられており、子供たちにとってはバスク語とスペイン語が必須といえる。バスクに来て感動するのは、人々の温かさだけでなく、子供たちが屋外で暗くなるまで元気に走り回っていることだ。めっきり日本では見られなくなった光景である。


街全体で祭りに参加する
 今回、カタルーニアとバスクといった独自の言語をもった独立色の強い地域の紹介をしたが、ことバスクのオンダリビアについてはほぼ英語が通じないことは驚きであった。英語を話さなくとも経済的に自立できているのであろう。私は、若い時にはラテン諸国のシエスタという長い昼休みの習慣を馬鹿にしていた。なんと効率の悪いことか、それでは生産性も向上しないし、なまくらな人間になってしまうと思い込んでいた。しかし、自分も年を重ねて、人生の楽しみとか人間らしい生活のことを考えると、長い昼休み時間に家に帰って家族と食事をとるといったことができるのはとてもうらやましく思う。


筆者自己紹介  はたけやま よしひろ。元英語教員、オーストラリア学生の研修旅行を日本で受け入れる際に、宮本忠先生に相談したことがきっかけで、三重オーストラリア・ニュージーランド協会の発起人となり現在に至る。


編集後記
 昨年は1 回の発行にとどまってしまい、ご心配をおかけしたことお詫び申し上げます。畠山本協会副会長から質量ともに充実した文章を提供いただき本年第1 号が配信できてほっとしています。なお、第2 号の原稿も集まっており、発行準備が進んでいます。昨年の分をカバーしようと思っています。
 なお、昨年第1 号(通号8 号)で「みんなの広場in 松阪」の模様を紹介しましたが、本協会ホームページ(http://www.mieoznz.com/)にフォーラムの詳細な内容を掲載しておりますのでご覧いただければ幸いです。




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