『カウラ脱走事件』を観劇して(報告) 宮本 忠
カウラ観劇の翌日は、宝塚市で開催される「ニュージーランド友好協会及び
姉妹都市会合」であった。劇は夜間であり、帰宅が遅くなることが予想された。
だが、カウラ事件は、日豪関係にとって、きわめて重要な事件である。
原点に置くべきことの一つである。われわれ協会は、第一回親善交流旅行及び
JRPS三重の後援旅行の二度、現地を訪問している。
酷暑を夜まで引きずる7月25日(金)、宮本二人は近鉄から名古屋駅で
地下鉄に乗り換え、「市役所前」を下車。汗をふきふき会場の
三重県女性総合センターに7時15分前にやっとたどり着いた。
大都市名古屋とはいえ、蒸し暑い夜間、戦争史を主たるテーマにする、
オーストラリア人俳優と英語交じりの演劇(字幕スーパー)、
『カウラの班長会議』、どれくらいの人が参集するのだろうか。
カウラはシドニーから300kmほどの緑の中の町。
公演は東京、神戸、名古屋、シドニー、キャンベラ、メルボルンで行われると聞く。
開演30分前、劇団関係者と思しき女性が舞台の前に立った。
「演劇は休憩なく2時間続きます。お客様が、多いので、開演10分前までに、
お手洗いをすませておいてください」。
連合軍カウラ捕虜収容所日本兵捕虜集団脱走事件は、太平洋戦争末期の
1944年8月5日未明に起きた。1104名の日本兵が収容所を脱走し、
そのうちの234人が射殺などで命を喪った。
本年8月1日から5日まで、カウラ捕虜脱走事件70周年記念事業が、
日本の世界遺産写真展や慰霊祭を含め、事件の舞台であったカウラにおいて開催された。
4日には、当時の捕日本兵虜では、ただ一人、村上輝夫さん(93)がカウラ高校で
生徒及び関係者と交流した(静岡新聞)。
他方、8月6日は広島原爆の日である。広島市原爆死没者慰霊式と平和式典が行われた。
また、8月9日は長崎原爆の日であり、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が
挙行された。原爆投下により、広島市では10万人以上、長崎市では7万人以上の貴重
な命が喪われた。僕が小学生のとき、「音楽」の時間に、担任の八田チヲ先生は繰り
返し少しハスキーな声で熱心に、ピアノに合わせて『原爆許すまじ』を教えて下さった。
そのたびに僕は、心を厚くし、一所懸命歌った。敦賀空襲で逃げ惑う人々を思い出しながら。
「ああ、許すまじ原爆を みたび(3度)許すまじげんばくを われらの町に、、、
歴史とは過去との対話、現在との対話、希望の未来との対話である。