直線上に配置

JRPS三重オーストラリア旅行後援報告》(その3)



当協会は本年2010年6月、標記旅行を後援、支援し、その企画、同行を行いました。以下、JRPS三重の参加者の方からお寄せいただいた感想文等を順次、掲載いたします。なお、JRPS三重は、日本網膜色素変性症協会三重支部を略したものです。


                          「オーストラリアへの旅に参加して」  
                                                木村 靖子


 
JRPSの三重支部10周年記念のニュージーランド・北島ロトルア旅行を思い返すたび、いろいろな温泉風景などが鮮やかに見えてきます。そして楽しかったなあと、またいつかきっと行きたいと思わせるのです。

今回は15周年記念としてオーストラリアの旅を企画して頂きました。行動をともにしていただいた小川正次さんに休暇の調整をして貰って私も参加出来ることになったのでした。シンガポールのインチョン空港を経由しての空の旅だったので、家を出てからシドニー空港までに10数時間もかかった上に、シドニー、キャンベラ間が3時間半バスに揺られたのでした。

行く前から聞いていましたがオーストラリアが日本から遠い国であること、そして大きな国であることを実感したのでした。その大きな国の南東の1部でしたが、旅してきたのはキャンベラで3泊、シドニーで2泊でした。

南半球のオーストラリアは初秋と言うことで、服装はそれなりに持って行ったのですが、乾燥していたことが私の喉に合わなかったのか、風邪を引いて帰ってきたのでした。

シドニーからキャンベラに向かうバスの窓から見える光景を説明して貰ったら、広大な土地は枯れ草や木で覆われていてお世辞にもきれいとは言えない色だそうです。日本のように赤や黄色に色づく木は無いようでした。行き交う車もきがつかなかったし、人家もほとんど見えなくて、ほんの少し牛や羊が枯れ草を食べていたようです。その少ない草を横取りしていくのが野生のカンガルーです。家族連れで立連れ立っているのがなん組みかいました。お腹の袋には赤ちゃんが顔を出していたようです。人家はずっと離れた方に有るそうです。

キャンベラは静かな落ちついた町でした。キャンベラに着いた当座はホテルの中の食堂で、サンドイッチなどを注文して食べていましたが、飽きてきたので近くのスーパーを覚えて、そこで好きな物を買ってきて部屋でルームメイト4人で楽しく食べるようになりました。

キャンベラでは博物館や美術館、植物園などをみました。なかなか立派なものでしたし、視覚障害者に特別の配慮をして頂きました。

私を含む10人はテロピアパークスクールを訪問して生徒さんと日本語の交流をしたのでした。この学校には大使や公使の子どもさんたちが多く通学しているそうです。約70の国と地域にわたる児童が通学しているそうです。子どもの頃から2,3種類の言語をおぼえ、日本に渡って活動したいと意欲的でした。

この学校の日本語を教えておられる先生はオーストラリアの女性でしたが博物館を案内して頂いたのは若い日本の女性でした。そのほかレジなどにも日本人がいて、たくさん日本人がオーストラリアで働いていることを実感しました。

キャンベラに滞在中に、カウラという町にバスハイキングに行きました。そこは旧日本兵で捕虜になっていた人のお墓があるのです。戦死の広報だけで、お骨が戻らなかった方も沢山あると聞きますが、ここに人知れず眠っておられるのかと思うと涙をこぼさずにはおられませんでした。

キャンベラからシドニーに向かう途中に、ブルーマウンテンズという景勝地が有り、山々が連なっているのですがユーカリが沢山生えていて、その樹液が揮発してブルーにかすむ様子が見られるのでブルーマウンテンズという名が付いたそうです。世界自然遺産に登録されているのもなるほどと思われるような所でした。ここは「目が欲しい」と思った第一の所でした。

シドニーはにぎやかな都会でした。その中でも中国人が生き生きと商売をしているのが目に付きました。帰りのシドニー空港へのタクシーの運転手が「オーストラリアがいまに中国人に買い取られるのではないか。日本人ももっとしっかりせんといかん」と言っていた言葉が思い出されます。

今回の旅行は豪NZ協会の宮本先生ご夫妻、冨田さん、藤原さん、豪日協会キャンベラのスチュアート会長さんなどのお力をお借りして安全に楽しい旅行ができたのだと心からお礼を申し上げます。

これからもよろしくお願いします。
                                      


                  直線上に配置